2012/10/01

古典部の旅路を終えて

『古典部の旅路3』を実施しました。

しかしその件を書いたご報告は2日目時点のことであり、途中経過のことを書いてるので、きちんと『古典部の旅路3』を終えて帰ってきたことを、今回のブログで記しておきたいんです。

台風17号の雨風が強くなったのは高速道路(松本IC→長野・上信越・関越→花園)間のことでした。雷こそ鳴らないので精神状態はもったんですけど、ワイパーのスピードをHIにしないと視界を確保できませんでした。エンジンブレーキは常に準備してたし、自分のクルマにはSportsモードという走行モードがありますが、高加速だけではなくすぐに減速できるよう配慮しながら進めていったという意識があります。それでも、ゴールのインター直前で事故が発生し、通行すれば時間の問題になると思い花園から一般道を使いましたが、この時の一般(県)道は湖が出来てたり、高速道路の数倍は危険なんだなと実感したものです。ChoChoの『優しさの理由』を何度もかけて無事な帰宅を心がけました。

思えば初の高山としての『古典部の旅路』、3日目午前中だけでも前項の1,2,5は完遂できましたが、結果としてはすべて出来たわけではありません。よく考えてみると入須先輩たち2-Fの映画をロケした古岡の楢窪地区も旧神岡町にモデルになったところがあると見えるし、連邦の山々は平湯から近いところにあって、古典部ユーストリームでも紹介されてます(時間に余裕があれば足を運べた所にいたんです!)。水梨神社の生き雛たちのルートも、不確定ではありますが、飛騨一宮の宮川を走っていたらそれらしい雰囲気を覚えました。不確定ですが、『氷菓』を楽しめる場所はまだまだありそうだなって正直思いましたね。無論、高山本来の古い街並みにも魅力を感じるし、この旅路を書物にするには、あと1回ぐらいはやって本屋冊子などの媒体にまとめないと、楽しさをお届けできないなって思いました。

地図を見てたりネットを見てたりすると、奉太郎、里志、摩耶花たちが出た鏑矢中学校の由来になった学校も、ここだろうなって推測できるようになりました。千反田さんじゃありませんが、米は噛めば噛むほど味がするといいます。高山は足を運べば運ぶほど、『氷菓』と楽しく向き合える要素が強いなって正直に思いましたね。

静岡の加茂花菖蒲園もありますので、高山が次いつ来れるかわかりません。

また雪にも見舞われるので、安易に冬に行く!と申せられません。

しかしながら完遂に至れなくても、やってよかったと思えた旅です。即売会もそうですし、神山高校文化祭実行委員会や応援部も発足し、少しづつ古典部や氷菓の対応を地元でして下さってる方もいる。ですから、半年から1年スパンになるかとは思いますが、自分の余裕と足とペースで旅路を完成させたいと思います。

この旅記録の残し方はブログにするか紙媒体にするか現在決まってません。

でも必ず何らかの形でこの記録が残せたらと思っています。

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